名古屋城といえば、天守できらめく金鯱(きんしゃち)と、「徳川家康が建てたお城」というイメージが強いですよね。でも実は、名古屋城を建てさせたのは家康ですが、実際に城主として長く治めていたのは家康ではなく、その九男・徳川義直(よしなお)から続く尾張徳川家なんです。

この記事では、名古屋城公式サイトなど一次情報にもとづき、「築城を命じた人」「石垣を築いた大名」「実際に治めた歴代城主」を分けて整理しました。初代・義直から幕末の16代・義宜(よしのり)まで、歴代の尾張藩主を一覧表でわかりやすくまとめたうえで、加藤清正(きよまさ)・織田信長・豊臣秀吉といったゆかりの武将と名古屋城の関係もセットで解説します。気になる武将がいる方は、そこから読んでもOKですよ。

※本記事は名古屋城公式サイト・名古屋市などの一次情報にもとづいています。「築城を命じた人」「石垣を築いた大名」「歴代城主(藩主)」を区別して紹介し、諸説がある事項には「諸説あり」と明記しています。

① 【まとめ】名古屋城の歴代城主 一覧表

まずは結論から。名古屋城の城主は尾張徳川家で、初代・徳川義直から16代・徳川義宜まで、慶長12年(1607)の義直の尾張移封から明治2年(1869)の版籍奉還まで、代々受け継がれました。歴代の藩主を時系列で並べると、こんな感じです。

城主名在城(在藩)期間石高主な出来事
初代徳川義直
(とくがわ よしなお)
慶長12年(1607)〜慶安3年(1650)元和5年(1619)56万3,206石家康の九男。1607年に尾張へ移封、1616年に名古屋城へ入城。御三家筆頭・尾張藩の礎を築く
2代徳川光友
(とくがわ みつとも)
慶安3年(1650)〜元禄6年(1693)寛文11年(1671)61万9,500石に確定将軍家光の長女と婚姻。建中寺を建立。在任中に尾張藩の石高が確定
3代徳川綱誠
(とくがわ つななり)
元禄6年(1693)〜元禄12年(1699)61万9,500石「元禄法制」を制定
4代徳川吉通
(とくがわ よしみち)
元禄12年(1699)〜正徳3年(1713)61万9,500石25歳で死去
5代徳川五郎太
(とくがわ ごろうた)
正徳3年(1713)61万9,500石3歳で家督を継承し、在任わずか約50日で死去。歴代でもっとも短い在任期間
6代徳川継友
(とくがわ つぐとも)
正徳3年(1713)〜享保15年(1730)61万9,500石1713年11月に家督相続
7代徳川宗春
(とくがわ むねはる)
享保15年(1730)〜元文4年(1739)61万9,500石規制緩和・経済振興策で知られる。1739年1月に隠居(後年、幕府により長く蟄居処分に)
8代徳川宗勝
(とくがわ むねかつ)
元文4年(1739)〜宝暦11年(1761)61万9,500石財政改革を推進
9代徳川宗睦
(とくがわ むねちか)
宝暦11年(1761)〜寛政11年(1799)61万9,500石藩財政対策として「米切手」を発行
10代徳川斉朝
(とくがわ なりとも)
寛政12年(1800)〜文政10年(1827)61万9,500石1827年8月に隠居
11代徳川斉温
(とくがわ なりはる)
文政10年(1827)〜天保10年(1839)61万9,500石21歳で死去
12代徳川斉荘
(とくがわ なりたか)
天保10年(1839)〜弘化2年(1845)61万9,500石36歳で死去
13代徳川慶臧
(とくがわ よしつぐ)
弘化2年(1845)〜嘉永2年(1849)61万9,500石14歳で死去。読みは「よしつぐ」「よしつむ」の表記ゆれがある
14代徳川慶勝
(とくがわ よしかつ)
嘉永2年(1849)〜安政5年(1858)61万9,500石幕末の藩政改革を指導。安政の大獄で隠居謹慎
15代徳川茂徳
(とくがわ もちなが)
安政5年(1858)〜文久3年(1863)61万9,500石1863年9月に隠居
16代徳川義宜
(とくがわ よしのり)
文久3年(1863)〜明治2年(1869)61万9,500石尾張藩最後の藩主。明治2年(1869)の版籍奉還により藩知事となる

※家康は表に入っていません。家康はあくまで名古屋城の築城を命じた人で、実際に居城として治めたのは初代・義直から続く尾張徳川家です。この「建てさせた人」と「治めた人」の違いが、名古屋城のいちばん面白いポイントかもしれません。
※14代・慶勝は明治2年(1869)の版籍奉還後、藩知事として再び藩政を担ったとする資料があり、この時期も含めて「17代」と数える資料もあります。また尾張徳川家の当主としては、藩主ではない徳川義礼(よしなり)が明治期に家督を継いでいますが、藩主・城主ではないため、本表では初代・義直〜16代・義宜を歴代城主の基本ラインとしています。
※石高は寛文11年(1671)に61万9,500石で確定し、以後幕末までほぼ一定でした(初代・義直の代のみ変遷があります)。

② そもそも名古屋城ってどんな城? 歴史と特徴をサクッと

城主の話に入る前に、まずは名古屋城そのものをかんたんにおさらいしておきましょう。

名古屋城は、江戸時代のはじめに天下普請で築かれた、徳川御三家筆頭・尾張徳川家の居城です。以後、幕末まで尾張徳川家が代々ここを治め、明治4年(1871)7月の廃藩置県で藩としての歴史を終えました。

名古屋城といえば、やっぱり天守にかがやく金鯱(きんしゃち)。創建当初(1612年)の金鯱は純金215.3kg相当と伝わり、名古屋のシンボルとして今もたくさんの人に親しまれています。ほかにも見どころはたっぷりで、こんな特徴があります。

  • 大天守と金鯱:屋根の大棟で金色に輝くシャチホコ。名古屋城の顔ともいえる存在です。
  • 本丸御殿:藩主の住まい・政庁だった御殿。狩野派の障壁画で知られ、2009年から復元工事が始まり2018年に完成公開されました。
  • 壮大な石垣と堀:天下普請で全国の大名が築いた重厚な石垣。清正石をはじめ見ごたえばっちりです。
  • 国の特別史跡:1952年(昭和27)に指定。桜の名所としても知られ、春はお城と桜の共演が楽しめます。

歴史をざっくりたどると、1609年(慶長14)に家康が築城を命令、1610〜1612年(慶長15〜17)に天下普請で築かれてから、幕末まで尾張徳川家の居城として使われ続けました。しかし1945年(昭和20)5月14日の名古屋大空襲で天守や本丸御殿など主要な建物が焼失してしまいます。戦後、1959年(昭和34)に大天守・小天守・正門が鉄骨鉄筋コンクリート造で再建され(現存天守ではありません)、本丸御殿も2018年に木造で復元されて、今の姿になっています。

つまり今わたしたちが目にする名古屋城は、「築かれた当時の歴史」と「戦後・近年の復元でよみがえった姿」が重なった、とても物語性のあるお城なんですね。

執筆時点の鮮度情報:天守閣は2018年5月7日から耐震性の問題により閲覧中止(閉館)が続いていて、木造復元計画も2026年時点で完成時期は未定です(早くても2032年度以降の見通しとされています)。天守閣の中には入れませんが、金鯱は屋根の上にあるため、外観としては城内外から見学できます。最新の状況は名古屋城公式サイトでご確認くださいね。

③ 名古屋城を建てたのは誰? 城に残る痕跡もチェック

建てさせたのは徳川家康、石垣を築いたのは全国の大名たち

名古屋城の築城を命じたのは徳川家康。関ヶ原の戦いのあと、1609年(慶長14)に名古屋台地への築城を命じ、1610年(慶長15)から西国・北国の大名20家を動員する「天下普請(てんかぶしん)」で築城が始まりました。1612年(慶長17)には大小天守が完成。つまり家康は「発注者」で、実際に石垣を積んだのは加藤清正をはじめとする大名たちでした。家康自身は名古屋城の城主(藩主)ではありません。

前身については、この地にはもともと那古野城(なごやじょう)があったと伝わります。名古屋城公式サイトによると、那古野城には織田信長が居住したことが明記されています。ただし「信長がここで生まれた」という生誕地についての言及は、名古屋城公式の前史ページには見当たりません。信長の生誕地は従来「那古野城説」が知られてきましたが、近年の古文書研究では尾張西部の勝幡城(しょばたじょう)説が有力視されており、日本経済新聞や愛知県公式観光サイト「Aichi Now」もこの説を取り上げています。生誕地は諸説あるものと考えて、断定しないのがよさそうです。

城に残る「城主・武将の痕跡」を探そう

名古屋城を訪れたら、ぜひ探してほしいのが歴代の痕跡たち。

  • 清正石(きよまさいし):本丸東二之門を入った正面にある、石垣のなかでも最大級の巨石(約八畳敷、推定10トン)。「加藤清正が運んだ」と伝わりますが、名古屋城公式サイトによると実際にこの区画の石垣を担当したのは黒田長政で、清正が運んだという逸話は近代になって生まれた創作説話とされています。とにかく大きいので、写真映えはばっちりですよ。
  • 金鯱(きんしゃち):大天守の屋根に輝く金のシャチホコ。名古屋のシンボルですよね。天守閣は現在閲覧中止中ですが、屋根の上なので外から見学できます。
  • 本丸御殿:2018年に復元公開された、豪華絢爛な御殿。3代将軍家光を迎えるために1634年に増築された「上洛殿」など、障壁画の美しさはたっぷり時間をかけて見たいところです。
  • 三つ葉葵の家紋:尾張徳川家の家紋。本丸御殿の意匠などにも見られると複数の観光情報で紹介されていますが、具体的な展示箇所についての名古屋城公式による解説は、本稿執筆時点では確認できていません。見学の際は現地の解説もあわせてチェックしてくださいね。
  • 御城印:三つ葉葵と「名古屋城」の墨書をあしらった御城印は、2017年夏から場内売店で頒布されているそうです。価格・販売場所は変わることがあるので、おでかけ前に名古屋城公式サイトで最新情報をご確認ください。

さらに足をのばすなら、初代・義直をはじめ尾張徳川家ゆかりの品を収めた徳川美術館や、大名庭園の徳川園もおすすめ。名古屋城から地下鉄名城線で大曽根駅まで約30分、または名古屋観光ルートバス「メーグル」を使えば「徳川美術館・蓬左文庫」バス停まで約16〜27分ほどで、セットで巡るのにぴったりの距離です(バスの運行本数は事前確認をおすすめします)。

※御城印の頒布状況・価格、三つ葉葵の展示箇所、アクセスの運行状況などは執筆時点の情報です。最新情報は名古屋城公式サイト・各施設公式サイトでご確認くださいね。

④ 名古屋城にゆかりの有名武将

名古屋城には、名だたる武将たちが関わっています。「あの武将と名古屋城ってどういう関係だっけ?」を、まとめてスッキリさせましょう。

徳川家康 ― 名古屋城を「建てさせた」人

前述のとおり、家康は名古屋城の築城を命じた人。ただし城主(藩主)ではありません。「名古屋城の城主は徳川家康?」と思っていた方、多いかもしれませんね。正確には、家康が天下普請で築かせて、九男の義直に与えた城、というのが正解です。

加藤清正 ― 石垣を築いた「築城の名手」

築城の名手として知られる加藤清正。名古屋城でも天守台の石垣普請を担当し、熊本から約2万人を動員して短期間で完成させたと伝わります。ただし本丸東二之門正面の「清正石」がある区画については、実際の施工大名は黒田長政で、清正が運んだという話は名古屋城公式によると近代に生まれた伝承なんです。清正といえば熊本城のイメージが強いですが、名古屋城にも(史実としては天守台という別の場所に)しっかり足跡を残しているんですよ。

徳川義直 ― 実際に治めた初代城主

家康の九男・義直こそが、名古屋城の初代城主です。1607年(慶長12)に尾張へ移封され、1616年(元和2)、17歳で名古屋城へ入城。御三家筆頭・尾張徳川家の祖として、以後約260年におよぶ尾張藩の礎を築きました。「名古屋城の本当の城主は?」と聞かれたら、まずこの人の名前を挙げてくださいね。

織田信長・豊臣秀吉 ― 前身の城と尾張のつながり

名古屋城の前身とされる那古野城には、織田信長が居住したことが名古屋城公式サイトに明記されています。生誕地についても那古野城説が知られていましたが、近年は前述のとおり勝幡城説が有力視されています。信長がこの地にゆかりを持つことは確かで、名古屋城の物語を語るうえで欠かせない前史のひとつです。

一方の豊臣秀吉は、尾張国中村(現・名古屋市中村区)の出身と広く知られていますが、名古屋城そのもの・那古野城との直接の在城・築城関係はありません。「信長・秀吉・家康、三英傑の地元に建つ城」という文脈で、名古屋城の物語に位置づけられる存在と考えるとわかりやすいですよ。

⑤ よくある質問(FAQ)

Q. 名古屋城を建てたのは誰ですか?

A. 徳川家康です。関ヶ原の戦いのあと、1609年(慶長14)に築城を命令。1610〜1612年(慶長15〜17)、全国の大名に命じた「天下普請」で築かれました。

Q. 名古屋城の城主は徳川家康ですか?

A. いいえ。家康は「築かせた人」で、実際に城主として治めたのは家康の九男・義直から続く尾張徳川家です。

Q. 名古屋城は何家が、どのくらいの期間治めたのですか?

A. 尾張徳川家が、初代・義直(1607年に尾張へ移封)から16代・義宜(1869年の版籍奉還)まで、約260年にわたって治めました。

Q. 清正石って何ですか?

A. 名古屋城の石垣で最大級の巨石です。「加藤清正が運んだ」と伝わりますが、名古屋城公式によると実際の施工大名は黒田長政で、清正の逸話は近代の創作説話とされています。

Q. 名古屋城の天守は昔のままですか?

A. いいえ。天守は1945年の名古屋大空襲で焼失し、1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建されたものです(現存天守ではありません)。なお天守閣は2018年から耐震性の問題で閲覧中止中で、木造での復元が計画されていますが完成時期は未定です。一方、本丸御殿は2018年に木造で復元・公開されています。

⑥ まとめ

名古屋城は、「建てさせた家康」「石垣を築いた清正」「実際に治めた義直から続く尾張徳川家」という3つの視点で見ると、ぐっと立体的に見えてきます。「城主=家康」だと思っていた方は、ちょっと見方が変わったのではないでしょうか。

次に名古屋城を訪れるときは、ぜひ清正石の大きさや、天守に輝く金鯱、そして本丸御殿に散らばる三つ葉葵の紋を探してみてください。歴代の城主や武将たちの足跡をたどりながら歩くと、いつもの名古屋城がもっと面白く見えてくるはずですよ。ぜひ、たっぷり楽しんでくださいね。

※本記事の情報は執筆時点(2026年8月)のものです。天守閣の閲覧状況、御城印の頒布状況・価格、アクセスなどの最新情報は、名古屋城公式サイト等でご確認ください。